年代 | 出来事 | 文化 | |
旧石器時代 〜BC12,000年 |
・200万年続いています。 ・氷河期に相当します。そのため大陸と日本は陸続きになっていました。(マンモス、ナウマン象などの大型動物が日本にやってきています。) ・狩猟中心の生活です。木の実なども採集していました。 ・打製石器を使っていました(日本で使われた打製石器は刃先を研磨した局部磨製石斧と呼ばれています。) |
遺跡:岩宿遺跡 | |
縄文時代 BC12,000年 〜BC4世紀 |
・1万年続きます。暖かく、貧富の差がなく争いがない時代です。 ・氷河期が終わり温暖化により氷河が溶け海面が上昇し、日本は大陸と切り離されます。 ・食料を得るために漁業が盛んに行われます。 ・弓矢が発明されます。(小動物を捕るためです。) ・気候変化により大型動物がいなくなったため、それを追って移動する必要がなくなったため定住生活を始めます。これが竪穴式住居になります。 ・定住するようになり縄文式土器が作られるようになります。 ・土偶が作られます。(呪術を行うためのものといわれています。) |
[貝塚] ・大森貝塚(東京都) ・加曽利貝塚(千葉県) ・鳥浜貝塚(福井県) [縄文遺跡] ・三内丸山遺跡(青森県) ・尖石遺跡(長野県) |
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弥生時代 BC4世紀〜3世紀 |
稲作が伝わり集落ができます。貧富の差が生まれ、争いが起こるようになります。 ・稲作が大陸から伝わります。 ・青銅器と鉄器が大陸から伝わります。(青銅器と鉄器は同時に伝わってきています。) ・弥生式土器が作られます。 ・初期の稲作は低湿地で行っています。 ・稲は高床倉庫に貯蔵しています。 ・集落が形成されます。 ・後期の稲作は乾田で行うようになります。(現代に近い方法です。) ・肥沃な土地や貯蔵した食物を求めて争いが起こるようになります。 ・支配者は宗教的権威の強い人です。 ・弥生時代末期には墳丘墓が現れます。 |
・登呂遺跡(静岡県) ・吉野ヶ里遺跡(佐賀県) |
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57 | 奴国王が後漢に使いを送り、光武帝から金印を授かります。 | ||
107 | 倭国から使者を後漢に送り、交わりを始めます。 | ||
239 | 卑弥呼・の邪馬台国を中心とした30カ国くらいの小連合が形成されます。 | ||
248年 | 卑弥呼没後、壱与が邪馬台国の女王になります。 | ||
古墳時代 4世紀〜6世紀 |
・古墳が出現します。これは支配者が権威を誇示するために造ったものです。 ・ヤマト政権の支配が拡大します。 |
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前期:4世紀 | ・3世紀末から前方後円墳が現れます。 古墳のまわりには埴輪が並べられます。 ・支配者は呪術的な側面が強いので古墳の副葬品には銅鏡、勾玉等の宗教的なものが多くあります。 |
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中期:5世紀 | ・ヤマト政権の支配が進みます。この政権は武力によって力をもつ支配者です。 ・古墳の副葬品は武具、馬具などに変わります。 |
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後期:6世紀 | ・地方の有力者も古墳を造るようになります。比較的小規模な古墳です。 ・儒教、仏教の伝来します。 ・天皇の時代がやってきます。 ・大伴・物部・蘇我氏の時代です。その中で蘇我氏が権力を握っていきます。 |
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538 | ・仏教伝来 蘇我稲目と物部尾輿が仏教の可否で対立します。(崇仏論争)仏教を受容することになり蘇我氏の力は強大化することになります。 蘇我稲目は自分の娘、堅塩媛(きたしひめ)と小姉君(おあねぎみ)を欽明天皇に嫁がせ姻戚関係を結びさらに力を付けていきます。 |
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587 | ・物部守屋滅ぶ 蘇我馬子と厩戸(うまやど)王(聖徳太子)とともに物部守屋を倒します。 |
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飛鳥時代 7世紀 | ・7世紀前半は蘇我氏の時代です。 ・蘇我氏の滅亡 ・律令国家 |
[飛鳥文化] 日本初の仏教文化です。飛鳥文化は朝鮮半島、中国、西アジア、インド、ギリシャからも影響を受けた国際色豊かな文化です。 飛鳥寺(蘇我馬子) 法隆寺(厩戸王) 四天王寺 白鳳文化(7世紀後半の文化) 仏教の力で国を平和にしていくという考えのもと大寺院が建立されました。 大官大寺 薬師寺 [仏像] 興福寺仏頭 [絵画] 高松塚古墳壁画 キトラ古墳壁画 [万葉歌人] 柿本人麻呂 額田王(ぬかたのおおきみ) |
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603 | ・官位十二階制定 厩戸(うまやど)王(聖徳太子)と蘇我馬子が制定しました。 一族のみに与えられていた位を個人に与えるという制度です。 |
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604 | ・憲法十七条制定 厩戸(うまやど)王(聖徳太子)と蘇我馬子が制定しました。 役人の心構えのような憲法です。 |
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607 | ・遣隋使派遣 小野妹子が遣隋使として派遣されます。 |
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630 | 遣唐使派遣 | ||
645 | 乙巳(いっし)の変 中大兄皇子と中臣鎌足が組んで蘇我入鹿を暗殺、蘇我蝦夷を自害させます。蘇我氏が滅亡します。 |
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646 大化2年 |
改新の詔(みことのり) 公地公民の原則を唱えています。つまり、土地は人々は国家のものということです。 中大兄皇子は自分に権力が集中するように有力者を滅ぼしていきます。(古人大兄の王、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわまろ)、有間王子) |
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670 | 庚午年籍(こうごねんじゃく) 初の全国的な戸籍 |
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672 | 壬申(じんしん)の乱 天智天皇の後の皇位継承争いのことです。 |
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694 | 藤原京に遷都 持統天皇(のときに遷都します。 |
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701 大宝元年 |
大宝律令完成 刑部(くさかべ)親王、藤原不比等(ふひと)により作られます。 |
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702 | 遣唐使再開 白村江(663)の戦い以降中断していました。白村江の戦いは朝鮮半島に百済救援軍を派遣した戦いです。 |
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708 和銅元年 |
和銅開珎鋳造 元明天皇のもと初めて貨幣の鋳造が行われます。 |
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奈良時代 710年〜794年 和銅3年〜延暦13年 |
天武系天皇の時代です。 大規模な平城京に遷都します。 藤原氏と藤原氏以外が交互に政権を担当する時代でした。 藤原氏が力を持ち始める時代です。 |
[天平文化] 唐の文化の影響を受けた国際的な文化です。 ・古事記 ・日本書紀 ・鎮護国家のため仏教が盛んに行われます。 ・唐から鑑真(がんじん)という僧侶がきて戒律を伝えました。 当時は受戒をおこなうには唐まで行かなくてはなりませんでした。これが鑑真がきたおかげで行かなくて済むようになりました。 ・唐招提寺(とうしょうだいじ) 鑑真の創建した寺院です。 [漢詩集] ・懐風葬(かいふうそう) 現存する日本最古の漢詩集 [和歌集] ・万葉集 4500首が納められています。また、万葉仮名が用いられています。 |
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710 | 平城京遷都 | ||
718 | 養老律令 藤原不比等は大宝律令の制定に関わった頃から力を持ち始め、養老律令は自らが中心となって制定しました。 |
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723 養老7年 |
三世一身(さんぜいっしん)法を施行 長屋王が施行しました。期限付きの土地の所有をみとめるというものです。 |
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741 天兵13年 |
国分寺建立の詔 仏教の力で国を平和にしようと考えました。これを鎮護国家といいます。 |
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743 | ・盧舎那仏(るしゃなぶつ)造立の詔 (大仏造立の詔) ・墾田永大私財法 身分に応じた面積の土地を永久に私有できるようになります。これを荘園といいます。 |
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752 天平勝宝4年 |
奈良の大仏完成 | ||
772 宝亀3年 |
・開墾無制限に 藤原百川らによりいくらでも荘園が持てるようにしました。その結果各地に荘園が増えていきます。 |