概要
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甲府五山のひとつ |
所在地 |
甲府市東光寺町 |
創建 |
1331年頃(元弘年間) |
宗派 |
臨済宗妙心寺派 |
甲府五山の一つです。
能成寺の開基は武田信守、開山は業海本浄といわれています。創建は南北朝時代の元弘年間(1331年)頃と言われています。建立されたときは笛吹市八代町にありましたが信玄の時代に甲府に移されました。甲府に移されたときは現在の甲府城のところにありましたが、甲府城が築造されるときに現在の場所に移されました。
[墓]
・甲斐の守護、武田信守の墓
・業海本浄の墓
・赤穂浪士家老、大野九朗兵衛の墓
能成寺案内板
定林山能成寺は、臨済宗妙心寺派に属し、甲府五山の一つに数えられている名刹です。開基は、甲斐の守護武田信守、開山は名僧業海本浄で南北朝時代に小石和筋八代村(現在の八代町)に創建されたと言われ、今は八代町指定の史跡「能成寺跡」として、残されています。
戦国時代、武田信玄が府中に移し、さらに文禄年間(1590年代)の甲府城築城の時に、健在地に移転したと寺記は伝えています。
伽藍は、江戸時代末(嘉永4年)の火災や甲府空襲で失われてしまいましたが、昭和61年に本堂を再建しました。
境内には、芭蕉の俳句や龍の伝説を刻んだ宿龍池の碑も見られ、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の家老、大野九郎兵衛の墓と伝えられる墓碑もあります。
「甲府市・甲府市教育委員会」案内板より引用
本殿
昭和61年に再建されました。
武田信守の墓
甲斐の守護をしていました。
能成寺の開基です。
業海本浄の墓
能成寺の開山です。
赤穂浪士家老 大野九郎兵衛の墓
ここだけではなく、群馬県安中市磯部の松岸寺、山形県米沢市板谷峠、青森県東津軽郡今別本覚寺にもあるとのことです。