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カメラ片手に歴史散歩は、信玄公ゆかりの地と神社及び古墳を紹介しています。

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金剛山法泉寺

概要

甲府五山のひとつ
所在地 甲府市和田町
創建 元徳・元弘年間(1329年〜1334年)の間
宗派 臨済宗妙心寺派
 甲府五山の一つです。武田勝頼と武田信武の墓があります。
 鎌倉時代の末期に甲斐の守護武田信武と、夢窓国師により開山されました。武田信武は武田中興の祖と言われています。信武は、武田信玄より9代前の武将です。南北朝時代、武田家は北朝方側についていました。北朝が勝利することで武田氏の勢力が大きくなってきました。また信武は、足利尊氏の姪婿として尊氏を助けた功績を認められて武田の再興の基礎を築きました。武田信武の死後法泉寺を菩提寺と定められました。そのため武田信武の墓が法泉寺にあります。
  武田信玄は法泉寺を手厚く保護しています。それは、信武ゆかりの寺であり、信武の廟所であること。また信玄は信武を尊敬していたからでもあります。
 法泉寺は武田勝頼の菩提寺となっていますので、勝頼の墓があります。

[墓]
・武田信武の墓
・武田勝頼の墓

[文化財]
・鐘楼門 市文化財
・釈迦如来坐像 市文化財
・夢窓国師坐像 市文化財

鐘楼門

寛永13(1636)年に中興二世の大器玄広(だいきげんこう)が建立しました。
昭和59(1984)年に市文化財に指定

本堂

桁行九間(16.38m)、梁間七間を計る本堂は仏間の両側に付書院を備えた江戸時代中期の建物です。内部には釈迦如来坐像(市文化財)、夢窓国師坐像(市文化財)が安置されています。

金剛不動岩

この金剛不動岩にちなんで、寺の山号は金剛福聚(ふくじゅ)山となる。

武田信武の墓

武田中興の祖と言われています。
新羅三郎義光(甲斐源氏の祖)以来甲斐に勢力を持っていた武田氏ですが源頼朝の謀略にあい武田氏は衰退しました。南北朝時代になると、武田家は北朝方に付いていた北朝が勝利することで武田神勢力が大きくなってきました。また信武は、足利尊氏の姪婿として尊氏を助けた功績を認められて武田の再興の基礎を築きました。
法泉寺は、信武と月舟和尚で開山されています。1539年没。

武田勝頼の墓

武田勝頼の菩提寺です。また武田信玄は勝頼を法泉寺の中興の祖とするほど力を入れていました。1582年没。
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