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カメラ片手に歴史散歩は、信玄公ゆかりの地と神社及び古墳を紹介しています。

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古墳の部屋

横根・桜井積石塚古墳群

 甲府市東部から春日居町にかけて積み石塚古墳が分布しています。その中で横根・桜井積石塚古墳群を訪れました。
 横根・桜井積石塚古墳群は八人山南面と大蔵経寺山西面及びそれらの間にある扇状地に分布しています。総数は145基を数えています。横根・桜井積石塚古墳群は横根支群、桜井内山支群、桜井支群、桜井東支群の4支群に分かれています。

ここでは以下の文献から引用しています。
「横根・桜井積石塚古墳群調査報告書」1991年 甲府市教育委員会

目次

[1]地理的環境
[2]歴史的環境
[3]横根・桜井積石塚古墳群調査史
[4]横根・桜井積石塚古墳群の概要
[5]訪れた積石塚古墳
支群 小分類 訪れた古墳
横根支群 1〜10号墳 9、10
11〜20号墳 11、12、13、14、18、19、20
21〜30号墳 21、22、25、26、27、28、29、30
31〜50号墳 31、32、33、34、48
51〜60号墳 52、53、54、55、56、57、58、59、60
61〜80号墳 61、62、75、79、80
80号墳〜 86、88、105、106
桜井内山支群 1〜11号墳 6、7

地理的環境

◆甲府盆地
 西側が釜無川と東側が笛吹川に沿い、北側は関東山地で限れた三角形に似た形をしています。釜無川と笛吹川に沿った扇状地・沖積低地があります。釜無川と笛吹川は鰍沢で合流し禹瀬(うのせ)付近で甲府盆地は終わります。
 北部の山地は関東山地の南西縁部です。湯村山、愛宕山、八人山、大蔵経寺山が甲府盆地に出っ張っています。これらの山地は新第三紀終わりにできた水ヶ森火山の開析によりできました。
 湯村山、愛宕山、八人山、大蔵経寺山は水ヶ森火山火山岩である片山溶岩でできています。
 湯村山と愛宕山間は相川扇状地です。
 愛宕山と八人山間は高倉川及び大円川の扇状地です。
 八人山と大蔵経寺山間は大山沢川の扇状地です。
◆横根・桜井積石塚古墳群
 八人山と大蔵経寺山間の大山沢川に沿った扇状地に位置しています。この場所は急斜面の南向き斜面で日射量が多く、比較的季節風が穏やかな地域となっています。上部は顕著な凹型斜面となっています。大山沢川は上中流域で山地及び斜面を開析しています。中流域では、流路と両岸とに3〜5mの比高があります。中流域の扇状地は数cm〜1mを超える輝石安山岩巨礫を含んでおり、褐色ローム質堆積物からなる土石流堆積物に覆われています。
 下流域は大山沢橋付近を扇頂とする扇状地を形成しています。扇状地上には八人山と同じ輝石安山岩の一部が残丘としてあります。
 古墳群の両側に位置する八人山と大蔵経寺山は水ヶ森火山岩である片山溶岩でできています。片山溶岩は青みを帯びた暗褐色の均質な普通輝石紫鮮輝石安山岩です。この溶岩は片山石まちは山崎石と呼ばれ石材として採掘されています。
 古墳で使われている石は輝石安山岩であることから、周辺の片山溶岩片を使用していると考えられています。

歴史的環境

 横根・桜井積石塚古墳群は八人山、大蔵経寺山が連なりその南に平等川があります。そしてここは比較的安定した沖積地が広がっています。
 遺跡は八人山南麓及び大蔵経寺山西麓の山腹斜面や扇状地にあります。ここは、古墳時代以降遺跡が多く見られる地域であります。
 古墳時代の甲斐国の最大勢力は4〜5世紀頃の銚子塚古墳、大丸山古墳等の大和政権との結び付きが強い古墳があります中道町を中心とする曽根丘陵地域一帯です。
 6世紀になりますと八代町、御坂町、甲府盆地東南部さらに北部へと勢力の中心地は拡大していきます。御坂町姥塚古墳を中心とするもの、甲府市西部の加牟那塚古墳を中心とするもの、横根・桜井積石塚古墳群のある甲府市東部から春日居町を中心とするものとに分かれます。古墳時代後期になりますとこの3地域が甲斐の三大勢力となります。
 甲府東部から春日居町にかけての積石塚は現在160基以上が確認されています。その中で横根・桜井積石塚古墳群は145基を数えます。これは、長野建大室山古墳群に次ぐ規模を誇っています。
 7世紀末に春日居地域に寺本廃寺建立すると最も優勢な勢力となります。奈良時代に入っても春日居地域の勢力は衰えることはありませんでした。

横根・桜井積石塚古墳群調査史

1972年 飯島進氏と甲斐古墳調査会により46基の古墳を確認。
1981年 「古代の山梨を知る会」の独自調査により70基の古墳を確認。
1982年 「古代の山梨を知る会」と山梨県考古学協会が甲府市教育委員会に保存を要請をする。
1983年
1月〜4月
甲府市教育委員会が山梨県考古学協会に委託し調査を行う。
既知のものも含め145基を確認。
1985年
2月〜3月
横根支群39号墳を学術調査
甲府市教育委員会が山梨県考古学協会に委託
1985年春 甲府市教育委員会が甲運東部果実組合所有の駐車場に案内板を設置
1985年夏 桜井内山支群9号墳調査
甲府市教育委員会が山梨学院大学考古研究会に委託

横根・桜井積石塚古墳群の概要

 八人山(標高572m)東斜面と大蔵経寺山(715m)南西斜面及び扇状地の290m〜460m付近の場所に広く分布しています。総数は145基を数えます。(古墳と断定できないものも含んでいます。)
 横根・桜井積石塚古墳群は4つの支群に分かれます。横根支群(横根西支群)、桜井内山支群(横根東支群)、桜井支群(桜井逍遥院支群)そして桜井東支群に分かれます。()内は旧名です。
 飯島進氏は古墳総数は1000基から1400はあったと推定していますが、相当数は果樹園に造成により消滅しました。
 積石塚古墳は性格上盗掘されやすいため、ほとんどの古墳は盗掘により破壊されています。そのため、出土品は珠文鏡、勾玉、土師器片、須恵器等わずかです。この様なことからいつ頃から築造が始まり、いつ頃築造が停止したかは不明です。また、被葬者についても不明です。

◆横根支群(横根西支群)
・八人山東斜面、大山沢川により形成された扇状地地域
・標高290m〜460m付近
・古墳総数107基
・標高290m〜350m付近の大山沢川両岸にもっとも古墳が密集
・墳丘径4.6m〜12m、5m〜7mのものが全体の70%をしめる。
・古墳総数107基のうち主体部が明確なものは68基
 横穴式石室:50基、竪穴式石室:15基、箱式石棺:3基
・八人山南東斜面の39号墳は学術調査

◆桜井内山支群(横根東支群)
・大山沢川に扇状地から大蔵経寺山南西斜面
・標高300m〜430m付近
・古墳総数11基
・全て円墳
・墳丘径5.5m〜9.5m、6m〜7mのものが主
・古墳総数11基のうち主体部が明確なもの7基
 横穴式石室:5基、竪穴式石室:2基
・9号墳が詳細調査。出土物は土師器、須恵器、金環、人骨

◆桜井支群(桜井逍遥院群)
・大蔵経寺山南西斜面
・標高290m〜400m付近
・古墳総数24基
・全て円墳
・墳丘径5m〜13.2m、5m〜7mが主
・古墳総数24基のうち主体部が明確なもの9基
 横穴式石室:6基、竪穴式石室:3基

◆桜井東支群
・大蔵経寺山南斜面
・標高290m〜330m付近
・古墳総数3基
・全て円墳
・墳丘径10m前後
・古墳総数3基のうち主体部が明確なもの2基
 横穴式石室1基、竪穴式石室1基
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